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更新日:2022年2月25日
平成7年(1995年)1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源地とする兵庫県南部地震が発生。震源地に近い明石市は死者26人、負傷者1,884人、家屋の全半壊1万近くという未曽有の大被害を受けました。
このページでは、当時の明石市内の様子や震災から得た教訓などを後世に引き継ぐため写真を紹介しています。
人的被害 死者26人(市内11人、市外15人) 負傷者1,884人(重傷139人、軽傷1,745人)
全壊家屋2,941棟4,239世帯 半壊家屋6,673棟10,957世帯
最大時3,369人(23ヶ所)
水道78,000世帯 電話800回線 電気全戸停電 都市ガス24,200世帯
明石市では、約60団体による避難所等での炊き出し及び100余りの団体や個人から食糧の援助をいただきました。また、市内をはじめ全国各地の個人、企業、各種団体、自治体などから豊富な救援物資が届けられました。
市内各所でボランティアによる炊き出しが行われた | ガスが出ない市民にカセットコンロを配布 |
市役所には全国から救援物資が届けられた | 応援にかけつけてくれたJAボランティアや他市町の職員 |
全国各地からトラックなどで救援物資が届けられた | 魚の棚商店街に掲げられたメッセージ |
自衛隊員述べ約3,500人が倒壊家屋の撤去にあたる | 救援物資の支給に並ぶ市民(市民会館) |
市は、「被災者相談センター」を19日に開設し、24時間態勢で被災者の問合せに対応しました。また、市内では最初に中崎と西明石で仮設住宅の建設がはじまり、市内では、856戸が建設されました。
2日後の19日に被災者相談センターを開設 市役所や避難所に特設公衆電話を設置 |
被災者支援センターには多くの市民が訪れた |
仮設住宅への入居者を決める抽選 | 手書きで発行した市政だより(当時)臨時号 |
3月4日、勤労福祉会館で「兵庫県南部地震明石市犠牲者慰霊祭」を執り行う | 大久保清掃工場に集められたがれきの山 |
市内には13か所、856戸の仮設住宅が建設された | 鍵渡しを受け仮設住宅を下見する入居者 |
震災の被害で観測室の天体望遠鏡は転倒し、外塔はひびわれ、塔時計は「地震発生時刻」をさしたまま止まってしまいました。その後、震災復旧工事のため3年2か月間の休館を経て、1998(平成10)年3月15日に、リニューアルオープンしました。
再開後、唯一震災の被害をまぬがれたプラネタリウムは、オープン後も、そのまま使われており、従来と同様に生解説で投影をしています。
天井が落ち望遠鏡が転倒した展望室 |
内壁の破損 |
平成7年12月から復旧工事が始まる | プラネタリウムは養生され小屋の中でメンテナンスが行われる |
大時計はとりはずされ神戸学院大学に設置された | 平成10年3月15日 リニューアルオープン |
平成8年1月17日に明石市の被災状況や震災後の取り組みについてまとめた冊子を発行しました。
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