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更新日:2023年7月13日
長年にわたる明石の水道のあゆみを年表とトピックスでご紹介します。
大正8年11月1日 | 市制施行 |
昭和3年3月5日 | 事業認可 |
昭和6年2月1日 | 給水開始 伊川谷浄水場開設 荷山配水場(現・東部配水場)開設 |
昭和24年5月10日 | 山下浄水場開設 |
昭和26年11月30日 | 東王子浄水場開設 |
昭和28年3月31日 | 藤江浄水場開設 |
昭和32年3月31日 | (旧)鳥羽浄水場開設 |
昭和32年12月14日 | 水道法施行 |
昭和35年5月9日 | 大久保浄水場開設 |
昭和35年12月28日 | 西部配水場開設 |
昭和38年10月23日 | 魚住浄水場開設 |
昭和41年11月7日 | 山下浄水場閉鎖 |
昭和43年2月1日 | 東王子浄水場閉鎖 |
昭和43年3月31日 | 明石川浄水場開設 |
昭和43年4月1日 | 明石川取水場開設 |
昭和46年7月16日 | (旧)鳥羽浄水場閉鎖 |
昭和46年10月18日 | 藤江浄水場閉鎖 |
昭和46年10月19日 | (新)鳥羽浄水場開設 |
昭和48年8月10日 | 大久保浄水場閉鎖 |
昭和49年5月31日 | 野々池貯水池完成 |
昭和53年4月1日 | 中部配水場開設 |
昭和60年2月28日 | 西部配水場増設(PCタンク) |
昭和60年3月15日 | 東部配水場増設(PCタンク) |
昭和63年4月1日 | 兵庫県水道用水供給事業より受水開始 |
平成元年3月20日 | 中部配水場配水塔完成 |
平成元年8月1日 | 野々池貯水池ジャンボ噴水完成 |
平成4年3月25日 | 明石川浄水場配水池増設完成 明石川浄水場内資材管理棟完成 |
平成7年1月17日 | 兵庫県南部地震発生 |
平成7年3月25日 | 魚住浄水場場内配水池・配水塔完成 |
平成11年3月31日 | 亀池貯水池完成 |
平成13年4月1日 | 野々池・亀池貯水池専用導水施設稼動 |
平成14年4月1日 | 明石川浄水場高度処理施設稼動 |
平成17年3月25日 | 東部配水場配水塔完成 |
平成18年3月31日 | 伊川谷浄水場閉鎖 |
平成20年3月27日 | 西部配水場配水塔完成 |
平成22年10月19日 | 鳥羽浄水場高度浄水処理施設稼動 |
平成22年11月11日 | 鳥羽浄水場新浄水池完成 |
平成30年4月1日 | 明石市水道局へ組織改正 |
水道開設を伝える新聞記事
兵庫県南部地震の際の給水活動
開設当時の魚住浄水場
明石川浄水場高度浄水処理施設
開設当時の明石川浄水場
西部配水場配水塔
明石市の水道事業は、昭和3年3月5日、旧内務省からの事業認可を受け、昭和6年2月1日に給水を開始しました。現在の伊川谷浄水場の深井戸を水源として、計画給水人口45,000人、一日最大給水量5,000立方メートルという事業規模でした。当時の浄水方法は、沈殿とろ過といった単純なものでしたが、塩素注入による消毒が実施されたこと、一定の水圧での給水により、じゃ口を開けばいつでも安定した量の水が出るようになりました。
昭和17年に林崎町を合併し、東播地域の中心工業都市として発展途上にあった本市は、太平洋戦争の敗色が濃くなり始めた昭和20年、6回にわたる空襲により全市街の60%を焼失するなど、たいへんな戦禍を被りました。
水道施設も致命的な損傷を受け、当年は応急対策に明け暮れました。水道施設の復旧は翌昭和21年から市の戦災復興事業の一環として本格的に進められ、関連する配水管の撤去、布設工事は昭和28年まで続きました。
復旧事業の精力的な取り組みに並行して、昭和23年には、将来の市勢発展に備え、新たに拡張事業(第1次)に着手しました。
目覚ましい戦災復興とともに、昭和26年に大久保、魚住、二見の3町と合併し現在の市域となるなど、市勢は急速に発展していきました。水道事業はこのような情勢を踏まえるとともに、生活水準の向上に伴う水需要の増加に的確に対応していくため、6次にわたる拡張事業を展開し、新たに浄水場(魚住、明石川、鳥羽)、配水場(西部、中部)など主要施設の建設を進める一方、水源対策としては、創設時から依存していた地下水に加え、明石川の河川水の取水を開始(昭和43年)しました。さらに、河川水の取水量を増加するため、取水した河川水を一時的に貯めておく施設として野々池貯水池(貯水量1,412,000立方メートル)を建設(昭和49年)するなど現在の施設形態を構築しました。
拡張事業は、39年の歳月を要し、普及率99.9%を達成した昭和61年度をもって、一応の完了をみました。
昭和62年度には、新たに水道の高普及時代に即応した施設整備を図ることとして、第1次整備事業を策定しました。
事業計画の基本は、昭和59年に出された旧厚生省の生活環境審議会の答申「高普及時代を迎えた水道行政の今後の方策について」に基づき、施設の適切で合理的な整備、老朽管の布設替え、配水方式の転換など、災害等緊急時のライフライン確保対策を重点的に行い、安全でおいしい水を安定して確実に給水できるように施設整備を図っていくこととしました。
この事業では、水源対策として昭和63年度から兵庫県水道用水供給事業からの受水を開始したほか、特に中部配水場と魚住浄水場に配水塔を建設するなど、配水体制の整備に重点を置いたものとしました。
平成7年1月17日に発生した「兵庫県南部地震」により、本市も甚大な被害を受けました。
水道も、地震直後には70%にわたる断水をきたすなど、事業全体に大きな影響をうけたものの、総動員体制で昼夜を徹して施設の復旧、給水活動などの緊急対策を講じ、地震発生後約2週間という、地震の規模の割には比較的早期に復旧を成し遂げることができました。
このことについては、第1次整備事業や石綿管の布設替えなど施設を強化するための事業に早期から着手し、ライフラインの確保対策に取り組んできた成果ともいえますが、特に給水装置に関連する部分については、他都市の水道事業体や水道工事の業界などの多大なご支援をいただいたことにもよるものです。
本市を含む兵庫県南部地域は、元来「地震のない地域」という神話が存在していたといわれるほど、災害が少なく温暖で住みよい所という気候風土を自負していただけに、巨大地震の到来という極めて難しい現実は、水道事業のあり方そのものにも貴重な教訓を残すこととなりました。
第1次整備事業は、平成6年をもって所期の目的をほぼ達成したとして完了し、平成7年度には、予定していた大蔵海岸埋め立て事業に伴う給水区域の拡張などを契機として、新たな事業計画を策定し、第2次整備事業として推進していくこととしました。
この事業では、計画目標年次を平成17年としてきたるべき21世紀にむけて水道の質的充実(高水準の水道の構築)を目指すこととしました。具体的には、地下水の減退を考慮して、亀池貯水池の築造、専用導水施設の建設、県水2点目受水施設の整備など、地下水以外の水源を安定確保するための施設を充実したほか、原水の多くを明石川河川水(亀池、野々池含む)に依存している明石川浄水場では、より良質の水を安定して供給するために従来の凝集沈殿・急速ろ過方式による浄水処理方法に、オゾン、活性炭等の処理を加えた高度浄水処理施設の導入を図りました。さらに、鳥羽浄水場においても、より良質の水を安定して供給するために、生物処理、粉末活性炭投入設備の導入を図ることとしました。また、需要水量の減少から経営の効率化をめざし、平成18年度から伊川谷浄水場を廃止し、4浄水場体制から3浄水場体制へと移行しました。
平成7年度から、第2次整備事業をもって渇水や地震等の災害に強く、安定性の高い安全な高水準の水道を構築し、需要者サービスの向上に努めてきました。
しかしながら、近年は、水需要の減少が顕著となってきたほか、地下水の減退、塩水化に伴う水源構成の見直しの必要性、河川水源水質への対応としての鳥羽浄水場への高度浄水処理施設の導入、施設全般にわたっての老朽化に伴う更新事業の必要性により、平成20年度から第3次整備事業をもって取り組むこととしました。
当事業は、更なる「安全、安定、安心」を基調とする水道をめざし、施設整備を進めていくこととしています。
事業開始以来、飛躍的な発展を遂げてきた本市の水道事業ですが、人口、需要水量とも平成10年度をピークとして減少に転じています。とりわけ需要水量の減少については、社会経済情勢の影響によるところもありますが、節水意識の高揚や節水型水使用機器の普及など構造的な原因もあり、今後とも大幅な回復を見込める状況ではありません。
一方、水需要の減少にも関わらず、地下水の塩水化、河川水の水質対策(水質基準の強化を含む)など、水源対策にも引き続き多額の投資・費用が見込まれるほか、高度経済成長期以降に整備された施設の老朽化が顕著になってきました。これらの施設の更新・改修については、これからの整備事業の柱として最重点の取り組みが必要となっています。
このような情勢から、本市水道事業の経営を今後も健全に進めていくため、平成29年度から平成38年度までの経営の基本計画である「明石市水道事業経営戦略」及びその実施計画である「明石市水道事業中期経営計画(平成29年度~平成33年度)」を策定しました。
今後とも、「安心・安全・安定」でおいしい水の供給を行っていくとともに、経営の健全性確保並びに水道利用者サービスの向上に取り組んでいきます。
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