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更新日:2023年10月13日
所在地 |
明石市街地中心部一帯 | |||
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時代 | 江戸時代 | |||
概要 |
明石は古代より畿内の西限とされ、後も京・大阪への西の関門として交通の要衝の地でした。 当時徳川幕府の力はまだ弱く、幕府は明石を西国の外様大名に備える拠点として注目し、元和3(1617)年、小笠原忠政(のち忠真)に明石城の築城を命じます。 築城に際して、一国一城令で不要となった城の廃材が用いられました。 今日に残る巽櫓は船上城、坤櫓は伏見城から移したものと伝えられています。 武家屋敷は城郭をめぐる中堀と外堀とに囲まれた地域にありました。 文久3(1863)年の「明石町内旧全図」などの絵図からは、当時の家臣の居住区や屋敷割を知ることができます。 現在も市街地には地割りの跡が多く残されています。 また城下の町割りには、剣豪宮本武蔵がつくったという説もあります。
これまでの武家屋敷跡の発掘調査において、当時の武家の暮らしぶりが分かる数多くの遺構や遺物が見つかっています。 屋敷の周囲に巡らされた溝や、火災などに備えるため家財類を蓄えていた地下施設の穴蔵、他に上水道、井戸、池、水琴窟(すいきんくつ)などがあります。 出土した遺物には、日常雑器として用いられていた陶磁器の他、瓦、下駄、箸、煙管(きせる)、かんざし等があります。 陶磁器の産地を見ると、17世紀の末頃には明石焼、朝霧焼といった地元での陶器生産が開始されたことが明らかになってきました。 |
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参考文献 |
「日本城郭大系12大阪・兵庫」(新人物往来社 1979) 「”93年特別企画発掘された明石の歴史展-最近の発掘調査の成果から-」(明石市立文化博物館1993) 「”96年特別企画発掘された明石の歴史展-明石城武家屋敷跡-」(明石市立文化博物館1996) 「”98年特別企画発掘された明石の歴史展-明石のやきもの-」(明石市立文化博物館1998) 「”99年特別企画発掘された明石の歴史展-震災復興調査の成果から-」(明石市立文化博物館1999) 「”00年特別企画発掘された明石の歴史展-器と道具-」(明石市立文化博物館2000) 「”01年特別企画発掘された明石の歴史展-まちの眠る古代の姿-」(明石市立文化博物館2001) |
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調査風景
椀・皿 |
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