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更新日:2023年10月13日
所在地 |
明石市大久保町高丘 | |||
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時代 | 奈良時代 | |||
概要 |
大久保町から魚住町にかけて、良質の粘土と燃料となる山林資源が豊富な地であったことから、古くより焼き物を盛んに作っていました。 奈良時代には律令体制がしかれ、多くの寺院造営に関連して、須恵器とともに瓦を焼く窯も多くつくられました。高丘の丘陵一帯もこのような窯業生産地のひとつでした。
高丘古窯跡群の発掘調査は兵庫県教育委員会によって、1966年まで4次にわたって実施され、20基の窯跡を確認し、うち13基の発掘調査が行われています。 調査の結果、各窯跡から須恵器が出土しており、1、2、5、6、7号窯からは平瓦、丸瓦が検出されています。 また注目すべき遺物として、2号窯での円硯、3号窯での陶棺(とうかん)、土馬、6号窯からの陶棺、12号窯の土馬等があります。 出土した須恵器から、高丘の窯は6世紀終わりごろから8世紀前半までの時期にかけて操業が続けられていたことが分かります。 調査後、高丘団地東にある中笠池西斜面の3基は保存され、また、高丘東小学校の2基は、未調査のまま公園内に保存されました。 その後、1975年3月18日には県指定文化財となっています。
高丘で焼いた瓦は、奈良県奥山久米寺まで運んでおり、また3号窯から出土した鴟尾(しび)とよく似たものが大阪市四天王寺から出土していることから、当時四天王寺への供給があったと考えられます。 |
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参考文献
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「"98年特別企画発掘された明石の歴史展-明石のやきもの-」(明石市立文化博物館1998) 「"00年特別企画発掘された明石の歴史展-器と道具-」(明石市立文化博物館2000) 「明石市史資料(考古篇)」第4集(明石市教育委員会1985) |
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高丘古窯跡群
須恵器杯 |
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