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更新日:2023年10月13日

明石の遺跡

11. 太寺廃寺

 

所在地

明石市太寺2丁目
時代 奈良時代
概要

太寺は白鳳期(7世紀後半~8世紀初)に造営された寺院の名ですが、早くより廃寺となりました。現在は江戸時代、明石城主小笠原忠政(のち忠真)によって再興された天台宗太寺山高家寺があります。

境内の東南隅にある小高い土盛は、県の文化財に指定されている太寺廃寺の塔跡です。

塔の基壇は高さ約1.5mで、円形つくりだしの柱座が設けられた礎石が3石、現位置に埋没して残存しています。うち北側の2石は中心間の距離が約8尺、残り1石の距離は2石を結ぶ線と直角に約16尺の位置にあり、1辺約7.3m(24尺)の塔であったと推定されます。

寺の境内からは白鳳時代~江戸時代の瓦が出土しており、白鳳時代以降、数度にわたる改修を受けていたことが分かります。

   参考文献

 

「明石市史資料(考古編)」第4集(明石市立文化博物館 1985)

 

 

太寺廃寺

出土瓦

 

太寺廃寺礎石

礎石

お問い合わせ

明石市市民生活局歴史文化財担当

兵庫県明石市上ノ丸2丁目13-1(明石市立文化博物館1階)

電話番号:078-918-5629

ファックス:078-918-5633