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更新日:2023年10月13日

明石の遺跡

17. 船上城跡

 

所在地

明石市新明町
時代 安土・桃山時代
  概要  

船上城は、明石川の河口西岸に築かれた平城です。

現在は、本丸跡と伝えられている微高地が残されているのみで、城下町の大部分は宅地となっています。

羽柴秀吉は天下統一を進めるため、四国攻め直後の天正13(1585)年家臣の所領替えをおこない、高槻の高山右近を明石に封じました。右近は枝吉城(神戸市西区枝吉)に入り、本格的に船上城の築城に着手しました。

城の西側には城下町を整備し、南側には堀を経て海へとつながる港を建設したようです。右近は約2年間にわたり、明石を治めました。

 

昭和56年度の兵庫県教育委員会による調査において、船上城の堀跡の一部と思われる溝状遺構と、建物に伴う暗渠(あんきょ)が検出されています。さらに平成3年の明石市教育委員会による調査では、東西にのびる屋敷境の溝跡が検出されました。

溝跡からは焼けた瓦類の他、17世紀初頭の唐津焼、織部焼、志野焼等が見つかり、本丸のまわりに武家屋敷が広がっていたことが裏付けられました。

 

元和3(1617)年に、信濃の小笠原忠政(のち忠真)が明石城主として赴任し船上城に入りましたが、同6(1620)年に明石城の完成とともに廃城となりました。

参考文献

「日本城郭大系12大阪・兵庫」(新人物往来社 1979)
「講座明石城史」(明石城史編纂実行委員会編 2000)

 

 

船上城跡調査風景

調査風景

 

船上城跡

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明石市市民生活局歴史文化財担当

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