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更新日:2023年10月13日
所在地 |
明石市藤江川添798他 | |
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時代 | 旧石器時代~江戸時代 | |
概要 |
藤江川添遺跡は海岸近く、播磨灘(はりまなだ)に注ぐ藤江川の河口から約500m程さかのぼった所に位置しています。川沿いの谷底平野部に相当するため地層の堆積は厚く、この周辺の土地利用の変遷がよく分かる遺跡です。平成6年から11年にかけて明石市教育委員会により調査が行われました。
旧石器時代 地表下約3mの縄文土器を含む地層よりも下に堆積した砂礫層からメノウ製の旧石器が見つかっています。石器の大きさは長さ8cm、幅5.3cm、厚さ2.9cmで重さは約100gです。両面が加工された石器で、形態的には世界各地の原人、求人が用いていたとされるハンドアックス(握り斧)に最も似ています。明石に旧人に相当する人類がいたことを証拠付ける資料となりました。
縄文時代 約6000年前の縄文時代の頃は、海面が上昇し、調査区付近まで海が入り込んでいたようです。この時代の土器は、主に河川の氾濫によって堆積した砂礫層中から出土しています。縄文時代早期から後期までのほぼ全時期の遺物が出土しています。また、土器だけではなく石器やクリやコナラ類の植物遺体も多量に含まれていました。流路近くの微高地上では、後期初めの埋設土器が見つかっています。埋設土器とは、深鉢の底部を打ち欠き、住居近くに埋めたもので、幼児を埋納したもの、あるいは胎盤を収めたものと考えられます、この埋設土器の出土によって、調査区周辺には住居などが存在していたことが明らかになりました。
古墳時代 古墳時代の遺構としては溝が見つかっており、溝の肩付近からは弥生時代後期から古墳時代前期にかけての土器が検出されています。出土遺物では甕が最も多く、次いで壺、高杯などの土器が見つかっています。この溝は、当遺跡から約300m南の藤江別所遺跡で見つかった井戸と深く関連するものと考えられ、当該周辺に居住していた有力豪族が水辺で祭祀を執り行っていたことが想像できます。
奈良・平安時代 奈良時代から平安時代にかけては、調査地周辺は湿地化しており、牛等の足跡が数多く残されています。
中世 中世の遺構としては、掘立柱の柱穴群が検出されました。柱穴の径は約10~15cmで、中央に約8~10cmの柱の跡が残されています。この柱穴内からはしばしば銅銭(どうせん)が出土しており、地鎮めのまじないを行うために埋められたと想定されます。また、この地層からは14~16世紀の土鍋・羽釜・蛸壺が数多く見つかっています。この段丘下では焼き物に適した粘土が取れることから、これらの焼物は当地で生産された可能性が高いと考えられます。
近世 近世には調査地点は水田となっていました。水田に伴う用水路も検出され、用水路をつなぐ土管には、蛸壺の底をくりぬいて利用しているものも認められます。また、この時代藤江村では炮烙(ほうらく)と蛸壺の生産が盛んであったことが「播磨名所巡覧絵図」等の文献から分かっています。
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参考文献 |
「'98年特別企画 発掘された明石の歴史展-明石のやきもの-」(明石市立文化博物館 1998) 「'99年特別企画 発掘された明石の歴史展-震災復興の成果から-」(明石市立文化博物館 1999) 「'00年特別企画 発掘された明石の歴史展-器と道具-」(明石市立文化博物館 2000) |
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調査風景 メノウ製石器 |
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