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更新日:2023年10月13日
所在地 |
明石市魚住町中尾・住吉、大久保町西島・江井島 | |||
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時代 | 平安時代末~室町時代初 | |||
概要 |
平安時代の終わり頃になると律令体制がくずれ、都への貢納品として生産していた須恵器は一般消費者の需要に合わせ、商品として生産されるようになります。 海に面した魚住一帯では、須恵器のこね鉢、甕、椀、瓦などを盛んに生産していました。
魚住町中尾を流れる中尾川流域に36基、大久保町江井島を流れる赤根川流域に16基の窯跡が確認されています。 当初は中尾川流域で操業が開始され、13世紀後半に入ると、「魚住泊(とまり)」の推定地となっている赤根川流域へと生産の中心を移し、15世紀前半まで焼き続けられました。
魚住の窯で焼いた瓦は平安京や尊勝寺(そんしょうじ)などの寺院へ運ばれています。 また調理用具のこね鉢は、京都を中心に東は関東から西は九州までと広く流通していました。こうしたこね鉢の生産も、室町時代に入り、硬くしまった備前焼の擂鉢(すりばち)が普及するとともに次第に衰退していきました。 |
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参考文献
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「”98年特別企画発掘された明石の歴史展-明石のやきもの-」(明石市立文化博物館1998) 「”00年特別企画発掘された明石の歴史展-器と道具-」(明石市立文化博物館2000) |
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こね鉢 |
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