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更新日:2023年10月13日
所在地 | 明石市大久保町八木 | |
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時代 | 旧石器時代 | |
概要 |
明石市林崎辺りから西側約7km、松江、藤江、八木、江井島、中尾を経て二見までの海岸は10mを越す断崖が続いており、あたかも屏風のようであることから屏風ヶ浦(びょうぶがうら)と名づけられています。 昭和2(1927)年、明石で病気療養中であった直良信夫は、この屏風ヶ浦海岸の崩壊しかけていた更新世中期の礫層からメノウの石片や旧象の化石を発見し、旧石器時代の人の存在を予見しました。 そして昭和6(1931)年4月18日、直良はこの西八木海岸の崖崩れをおこした土の中から、化石化した人の左側寛骨を発見しました。 この人骨は昭和20(1945)年に戦災により東京の直良宅で焼失しましたが、昭和23(1948)年、東京大学人類学教室の長谷部言人(はせべことんど)が教室に残されていた人骨の石膏模型と写真をもとに、北京原人に匹敵する人の骨だとして「明石原人」と名付けました。 そして、昭和60年(1985)年に国立歴史民俗博物館の春成秀爾助教授(名誉教授)が発掘調査を行い、直良が人骨を発見したとされる地層から、人工的な加工痕のある木片を発見し、さらにこの地層から碧玉(へきぎょく)でつくられた石器が採集されていることから、明石の地には今から約6~7万年前に人が住んでいたことを確認しました。 この西八木遺跡は現在のところ、近畿、瀬戸内地方では最古の人類遺跡となっています。
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参考文献 | 「明石市史資料(考古篇)第4集(明石市教育委員会 1985)」 「'00年特別企画発掘された明石の歴史展-器と道具-(明石市立文化博物館 2000)」 「'02年特別企画「明石原人」の発見者直良信夫生誕100年展」「明石市史資料(考古篇)第4集(明石市教育委員会 1985)」 「'00年特別企画発掘された明石の歴史展-器と道具-(明石市立文化博物館 2000)」 「'02年特別企画「明石原人」の発見者直良信夫生誕100年展」 |
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再調査風景 明石人骨 |
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